本質ってなに?
空手の本質
空手は、ひとつの技術としては、いかに効率よく相手を制するかということの追求だと思う。
それが、「武術」の本質ではないか、今の時代に「武術」の存在する必要性があるのか?
相手を制する技(いかに効率よく人を倒すか)が必要な時代になってはいけないのでは。
そのなかで、空手を稽古する意味はどこにあるか?
スポーツ・競技としての空手も大切だが、本質を失ってしまう。本質から離れると大切なことが学べなくならないか。
切れる刀だからこそ鞘が必要
「切れる刀だからこそ鞘が必要」ではないか。切れる刀としての武術、その鞘になるのが心・人間性ではないか。
・剥き身で刀を持って歩けば、いつか自分が傷つく。
・よく切れる刀になればなるほど、鞘が重要になってくる。
・切れる刀は、鞘まで切ってしまう。
危険な道具は、それが悪いことに使われた場合、道具が悪いのではなく、それを使った人の問題ではないか。
簡単に人を倒せるからこそ、心を磨き、忍耐強く、常に笑顔で、誰とでも仲良くできる人間になる必要性が高くなるのでは。
でも、鞘だけ立派に作っても意味がないのでは?
いざ鞘から出すと錆びていたら?
切れない刀は刀ではない。
だからこそ、本質を追求することは大切だと思う。
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